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2010年02月28日

五番丁:城下町の地名 5

五番丁一番丁のNTTから屋形町通りに至る長細い町です。


東外堀堀詰川(屋形川)は町の北半分を東西に流れ、途中で直角に曲がり北進し、六番丁けやき大通りに向かいました。  


Posted by ももじろうパパ at 14:51Comments(0)城下町の地名

2010年02月27日

再放送:新内

今日放送のおはなしのまちわかやまさんぽみちでは新内バス停周辺の散策です。

ももじろうチャッピーは部長に連れられ、取引先の社長と一緒に新内の飲食店街にあるバーで朝まで飲み明かし、帰り道に早朝の散策中だった白蛇のにょろ爺さんと偶然出会いました。

今週はにょろ爺さんが、けやき大通りの歴史などを語ってくれました。

FM和歌山での再放送は25:00~
明日付の和歌山新報1面にも掲載されます。  


Posted by ももじろうパパ at 17:52Comments(3)ひとりごと(日記)

2010年02月26日

さんぽみち29 新内

さんぽみち第29回は新内バス停です。

けやき大通りの南側は美園町となり、けやき大通り第1種市街地再開発事業で再開発が始まっています。

北側は友田町になっています。

再開発事業地の西側にある細い道路は山東軽便鉄道の廃線跡で、日前宮駅(秋月駅)から西進し紀勢線の地蔵踏切を横切り、その先からカーブし新南公園から北進し、田中町3丁目には大橋駅が設けられ、けやき大通りを横切って城東公園から東にカーブし、聖天宮の西に吉田駅を設けて中之島を北進し、紀和駅東側の中之島駅終点まで続いていました。

この区間は大正5年(1916年に)に開通したが、紀勢線と交差するため途中に田中口駅を造り、和歌山駅まで線路を付け替えたため、大正13年(1924年)に約8年間使用されただけで廃線されてしまいました。


さんぽみちプロジェクト新内は下記のメディアでご覧ください。

FM和歌山 おはなしのまち わかやまさんぽみち
明日2月27日(土)放送13:00~・再放送25:00~

和歌山新報:日曜日付け朝刊1面に掲載
明後日28日(日)付で新内が掲載されます。
和歌山新報のさんぽみちWebにもUPされます。

動画:youtube keioSFCisagaiLab
または[和歌山市 さんぽみち]で検索

バス停に貼付されているQRコード情報案内板からもリンクしています。
  


Posted by ももじろうパパ at 20:46Comments(0)さんぽみちプロジェクト

2010年02月25日

四番丁:城下町の地名 4

城下町の地名、今回は四番丁です。

四番丁は屋形通りの西側に面した所に位置しています。

東堀から流れ出た東外堀堀詰川(屋形川)は埋め立てられ屋形通りの西半分となり、北上し三木町バス停付近を再び西側に曲がり、裁判所の手前で直角に曲がりけやき大通り方面に北上していました。
  


Posted by ももじろうパパ at 20:50Comments(0)城下町の地名

2010年02月24日

三番丁:城下町の地名 3

城下町の地名、今回は三番丁です。

三番丁裁判所検察庁のある二番丁の東、南に位置し今は法律関係の事務所がたくさんあります。

江戸時代には広瀬口御門があり、その南には東堀から続いていた東外堀堀詰川(屋形川)が流れ、屋形通りからは北進していたが、昭和6年からの失業救済事業として埋立られました。  


Posted by ももじろうパパ at 14:40Comments(0)城下町の地名

2010年02月23日

二番丁:城下町の地名 2

二番丁は東堀の東側堀端通りに面した所に位置しています。

和歌山地方裁判所、和歌山簡易裁判所、和歌山家庭裁判所、和歌山地方検察庁、和歌山区検察庁、和歌山地方合同庁舎など国の機関が建設されています。



次回は三番丁の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 18:10Comments(0)城下町の地名

2010年02月22日

一番丁:城下町の地名 1

和歌山城下地名を紹介します。

江戸時代を通じて城下町和歌山では武家屋敷地に町名はなく、町人の屋敷地と同心や仲間などの下級武士の屋敷地にだけ町名が付けられていたそうです。

明治2年(1869年)にまず同心町に町名を付け、武家屋敷地には明治5年(1972年)丸の内の一番丁から十三番丁をはじめとして屋形町など133の町名が付けられたようです。

一方、町名のなかった武家屋敷町に対して、町人の住んだ町には町名が付けられており、町人の町は職種に応じて居住地を指定するのが城下町建設の常道だったそうです。


1回目は一番丁です。

一番丁には和歌山城中央郵便局NTTが属しています。



次回は番丁シリーズの二番丁です。  


Posted by ももじろうパパ at 21:42Comments(0)城下町の地名

2010年02月21日

春の息吹1

快晴の日曜日、久しぶりに和歌川緑道を散策しました。
遠くに和歌山城が見えています。

寒緋桜が咲いておりました。

4月の桜のシーズンが楽しみです。  


Posted by ももじろうパパ at 19:44Comments(0)ひとりごと(日記)

2010年02月20日

再放送:北の新地

さんぽみちプロジェクト北の新地FM和歌山での再放送は今晩25:00~です。

番組と和歌山新報で取り上げられた数寄屋丁(すきやちょう)と坊主丁(ぼうずちょう)は大新通りに面した町で、町名の由来は御三家の入城で頼宣と共にやってきた、茶道の接待を担当する御数寄屋坊主(おすきやぼうず)がこの辺に住んだため、数寄屋丁・坊主丁という地名が付いているようです。

詳細はおはなしのまちわかやまさんぽみちの番組と和歌山新報連載中のさんぽみち(2月21日朝刊1面)でご覧ください。

大新通りは紀和駅(旧・和歌山駅)から南に延びた県道で、大新公園の北側でフォルテワジマから舟大工町までの城まちハッピーロードキーロード)に続く東ブラクリ丁の入口と交差しています。
  


Posted by ももじろうパパ at 20:52Comments(0)さんぽみちプロジェクト

2010年02月19日

さんぽみち28 北の新地

さんぽみち第28回は北の新地バス停です。


バス停は北の新地ですが、地名は北ノ新地・・・とたくさんの小さな町に別れています。
分銅丁田町裏田町下六軒丁中六軒丁上六軒丁榎丁1丁目2丁目東ノ丁となっており古くからの物と新しい物とが混じり合っている感じです。

けやき通りの北側には大新公園があり地下は駐車場ですが、以前は県営の大新プールがありました。

けやき大通りより南側には寺院があり、柳丁にある常住院元々は大きな敷地の寺でしたが付近の区画整理で今のようになりました、和歌山西國三十三カ所観音霊場の15番となっています。




さんぽみちプロジェクト北の新地は下記のメディアでご覧ください。

FM和歌山 おはなしのまち わかやまさんぽみち
明日2月20日(土)放送13:00~・再放送25:00~

和歌山新報:日曜日付け朝刊1面に掲載
明後日21日(日)付で北の新地が掲載されます。
和歌山新報のさんぽみちWebにもUPされます。

動画:youtube keioSFCisagaiLab
または[和歌山市 さんぽみち]で検索

バス停に貼付されているQRコード情報案内板からもリンクしています。
  


Posted by ももじろうパパ at 20:21Comments(0)さんぽみちプロジェクト

2010年02月18日

和歌山の鉄道写真展

一昨日に大阪城を縦断しNHK大阪放送局に行ったのは、所用とロビーで展示されている和歌山の鉄道写真展とマナ・カナの熊野路写真展を見るためだったのです。

和歌山の鉄道写真展はNHK和歌山放送局の副局長 佐野嘉春さんの作品で、以前NHK和歌山放送局ロビーで展示されていた物とほとんど同じでしたが、たくさん見物人がおりました。
 
紀州鉄道和歌山電鐵南海紀ノ川橋梁など、和歌山にはまだ画になる鉄道風景がたくさん残っています。  


Posted by ももじろうパパ at 18:10Comments(0)ひとりごと(日記)

2010年02月17日

大阪城

きのう大阪城に行ってきました。

遊びに行ったわけではなく、所用で京橋の讀賣テレビから上町筋大手前のNHK大阪放送局まで移動する際に、大阪城内を縦断したためです。

ここも和歌山城と同様に中国人観光客が大勢来ておりました。

大阪城は城内を歩いて散策するには敷地が広大すぎ、和歌山城の方がこぢんまりしており、紅葉谷など箱庭的な庭園もあって、短時間での散策には適していると感じました。

城郭も金色で派手すぎるような気がして、名城の誉れ高い姫路城松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられる和歌山城の方が、見慣れている所為もありますが、日本の城という感じがします。  


Posted by ももじろうパパ at 20:23Comments(0)ひとりごと(日記)

2010年02月16日

西大工町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は西大工町です。

城北通り面する所に西光寺があり小学生の頃は同級生がおり、遊びに行かせてもらいました。

南側の通りには、今でもテント屋さんやネーム店、新建電機が営業しています。
  


Posted by ももじろうパパ at 18:10Comments(0)町の今昔

2010年02月15日

専光寺門前丁:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は専光寺門前丁です。

専光寺門前丁は専光寺と周辺にある7軒の小さな町です。

専光寺の隣には私が子供の頃よく行った駄菓子屋さん西谷商店がありました。


東隣は明日紹介する西大工町で、東に直進すれば、北ブラクリ丁に続いています。  


Posted by ももじろうパパ at 21:20Comments(0)町の今昔

2010年02月14日

きのくに21

県政広報番組「きのくに21」今週は知事と語るで、和歌山大学の足立基浩準教授をゲストに迎え『これからの地方都市の再生』をテーマに放送されました。

知事と足立准教授との対談で「中心市街地の活性化」や「コンパクトシティー」のお話があり、成功例として青森市熊本市富山市、それに金沢市があげられており、和歌山県もこの課題に取り組み、県と市の人事交流の話なども語られておりました。

再放送は今日22:00~22:29 テレビ和歌山で放送されます。

又近日中に和歌山県のインターネットホームページでも配信されます。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/tv/wtv.html

バックナンバーも見る事が可能です。  


Posted by ももじろうパパ at 11:59Comments(0)ひとりごと(日記)

2010年02月13日

再放送:三木町新通

FM和歌山で放送中のおはなしのまちわかやまさんぽみち今回は三木町新通バス停周辺の散策です。

けやき大通りを通っていた軌道線は公園前~東和歌山(国鉄和歌山駅前)間を新町支線と呼んでおりました。

新通卸商店街の紹介で和歌川三方出合との関連が説明されています。
この周辺の和歌川には紺屋橋新町橋梶橋があり両岸には木材関連の施設がたくさんあり、川には筏(イカダ)が浮かんでおりました。


今回も猫のもも次郎犬のチャッピー白蛇のにょろ爺の3匹が新通商店街を散策しますが、にょろ爺の面白い行動が笑いを誘います。

再放送はこの後25:00~です。  


Posted by ももじろうパパ at 21:02Comments(0)ひとりごと(日記)

2010年02月12日

さんぽみち27 三木町新通

さんぽみち第27回は三木町新通バス停です。

三木町新通バス停は和歌川の新町橋上に設置されており、軌道線のあった頃の電停は三木町新通に別れていました。

上流側(北側)には梶橋が架けられその先には大門川市堀川三方出合があります。

下流側(南側・和歌浦方向)には紺屋橋があります。

新町橋の東南詰めには広場があり岡崎邦輔の銅像が建てられています。

岡崎邦輔は紀州が生んだ政治家で陸奥宗光の従兄弟となり、アメリカ留学中には南方熊楠とも接点があり、10期衆議院議員となり中央政界で活躍したようで、銅像裏のプレートにはその証しとして発起人に、首相経験者の池田勇人佐藤栄作、元和歌山県知事の小野真次、元和歌山市長高垣善一氏や元南海電鉄社長の壺田修氏など政財界の重鎮が、そして代表世話人として郷土出身の今村長太郎衆議院議員の名前が記されています。

けやき大通りを挟み南北に新通商店街があり、今でも繊維関連の問屋が多く営業しています。

古くからの問屋街で活気があり、銀行の本店もあって、今でもその煉瓦張りの建物は残っており、私の先祖も昭和の初め頃に新通り4丁目で自転車卸商を営んでいたと聞いています。


さんぽみちプロジェクト三木町新通は下記のメディアでご覧ください。

FM和歌山 おはなしのまちわかやまさんぽみち
明日2月13日(土)放送13:00~・再放送25:00~

和歌山新報:日曜日付け朝刊1面に掲載
ただし、前回が特別紙面で休止したため明日13日(土)付で公園前西、明後日14日(日)付で三木町新通が掲載されます。
和歌山新報のさんぽみちWebにもUPされます。

動画:youtube keioSFCisagaiLab
または[和歌山市 さんぽみち]で検索

バス停に貼付されているQRコード情報案内板からもリンクしています。
  


Posted by ももじろうパパ at 22:51Comments(0)さんぽみちプロジェクト

2010年02月11日

鷺ノ森:町の今昔

和歌山市町の今昔今回は鷺ノ森(さぎのもり)です。
鷺森には本願寺鷺森別院(御坊)があり、安土桃山時代に織田信長と和睦し石山本願寺から退去した顕如が滞在し、浄土真宗の本拠地として位置づけられていたが、その後は豊臣秀吉紀州征伐によって急速に衰退し、江戸時代に再興したが第二次世界大戦の和歌山大空襲によって焼失し1948年に再建したが、再び1992年に火災で焼失し、現在の建物は1994年に再建されています。

15~16世紀に活躍した雑賀衆の本拠地であり、毎年孫市まつりが開催されています。

江戸時代の城下町絵図を見ると、周りは東西南北の道路で区切られた城下町ですが、鷺森別院付近だけが異なった街割になっており、城下町より以前に寺内町が形成されていた名残でしたが、戦災と戦後の区画整理によって今の形となりました。

そのためか現在もこの付近の地名は鷺森別院のある鷺ノ森をはじめ鷺ノ森西ノ丁、鷺ノ森新道、鷺ノ森中ノ丁、鷺ノ森明神丁、鷺ノ森東ノ丁、鷺ノ森片町、鷺ノ森堂前丁、鷺ノ森南ノ丁と鷺森別院を中心とした寺内町の名残が地名にも伺えます。

鷺森別院の境内には鷺森幼稚園があり、私はその卒園生でお堂で偉いお坊さんのお話を聞いた記憶があり、当時近所では鷺森別院をごぼうさんと呼んでおりました。

1872年(明治5年)には鷺森本願寺を会場として博覧会が開かれ神社寺院所蔵の宝物や各地の名産が展覧され、6万人の入場者があったそうです。

鷺ノ森南ノ丁には城北小学校があり、いまでも私が使用した教室が残っています。


  


Posted by ももじろうパパ at 13:09Comments(0)町の今昔

2010年02月10日

和歌山城 紅葉谷

きのうの昼休み、雨上がりの紅葉谷庭園に行ってきました。

紅葉の頃は毎日行っておりましたが、暖かかったので久しぶりに訪問しました。

あいにく土橋は工事中でしたが、緑の苔に柔らかな陽が差し、まもなく春が訪れてきそうな気配を感じます。
    


Posted by ももじろうパパ at 07:30Comments(0)まちかどPhotos

2010年02月09日

和歌山城 西の丸

きょうの昼休み、暖かかったので和歌山城に行きました。

職場の窓から西の丸広場で工事をしていたのが見えていたので、確認に行くと梅の木が植えられており、咲きかけの花から良い香りがしておりました。

二の丸付近ではまだ山茶花の花が残っており、水仙も良い香りを放っておりました。


まもなく春一番が暴れそうです。  


Posted by ももじろうパパ at 20:42Comments(2)まちかどPhotos