2010年03月21日
十三番丁:城下町の地名 13
城下町の地名、番丁シリーズのラストとなる十三番丁です。

十三番丁は市堀川の南で城北橋の東西に位置しています。



城北橋の東南には戦災で亡くなられた方の慰霊碑が祀られています。

十三番丁は市堀川の南で城北橋の東西に位置しています。



城北橋の東南には戦災で亡くなられた方の慰霊碑が祀られています。

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2010年03月17日
十二番丁:城下町の地名 12
和歌山市城下町の地名、十二番丁です。
十二番丁は市堀川の南側で中橋の東西に位置しています。






中橋は元東海道線の桂川鉄橋を再利用した物で大門川に架かる新興橋とは兄弟となります。

それにしてもそっくりです。
十二番丁は市堀川の南側で中橋の東西に位置しています。






中橋は元東海道線の桂川鉄橋を再利用した物で大門川に架かる新興橋とは兄弟となります。

それにしてもそっくりです。
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2010年03月16日
十一番丁:城下町の地名 11
城下町の地名、今回は十一番丁です。

十一番丁は大手道の京橋の西付近から住吉橋の東付近までの市堀川南側に位置しています。





住吉橋と堀詰橋間の市堀川南側に謎の排水溝がありますが、私は中学生の頃からこの溝は和歌山城内堀の公園前角の排水溝と繋がっていると思っていました。


堀の水量が多い時ここから水が流れ出し、その溝には多くの魚が住んでおり、どこまで続いているか探検しようと思いましたが、危険そうなので諦めた思い出があります。
おそらくこの謎の水路は内堀の水量を調整するため、けやき大通りの下を東に流れ、埋め立てられた東堀堀詰川(屋形川)の跡を利用し市堀川に繋がっていると思われます。

十一番丁は大手道の京橋の西付近から住吉橋の東付近までの市堀川南側に位置しています。





住吉橋と堀詰橋間の市堀川南側に謎の排水溝がありますが、私は中学生の頃からこの溝は和歌山城内堀の公園前角の排水溝と繋がっていると思っていました。


堀の水量が多い時ここから水が流れ出し、その溝には多くの魚が住んでおり、どこまで続いているか探検しようと思いましたが、危険そうなので諦めた思い出があります。
おそらくこの謎の水路は内堀の水量を調整するため、けやき大通りの下を東に流れ、埋め立てられた東堀堀詰川(屋形川)の跡を利用し市堀川に繋がっていると思われます。
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2010年03月15日
十番丁:城下町の地名 10
城下町の地名、今回は十番丁です。

十番丁はロイネットホテルとフォルテ和島十番丁ビルとの間にある大手道から本町通りを越え東外堀堀詰川(屋形川)を埋め立てた道路までの間に位置します。



主な建物はwajima十番丁ビル(三菱UFJ銀行)、野村証券、多賀神社、朝日プラザ十番丁などです。



十番丁の東側には城下町の痕跡らしいT字路が多く残っています。



東外堀堀詰川(屋形川)は稲葉商店、南条医院付近を直線で北に進み市堀川とつながっておりました。

次回は十一番丁の予定です。

十番丁はロイネットホテルとフォルテ和島十番丁ビルとの間にある大手道から本町通りを越え東外堀堀詰川(屋形川)を埋め立てた道路までの間に位置します。



主な建物はwajima十番丁ビル(三菱UFJ銀行)、野村証券、多賀神社、朝日プラザ十番丁などです。



十番丁の東側には城下町の痕跡らしいT字路が多く残っています。



東外堀堀詰川(屋形川)は稲葉商店、南条医院付近を直線で北に進み市堀川とつながっておりました。

次回は十一番丁の予定です。
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2010年03月11日
九番丁:城下町の地名 9
和歌山市城下町の地名、今回は九番丁です。



九番丁の伏虎中学北校舎には紀州藩家老安藤家屋敷跡の碑が、ロイネットホテル駐車場の前には和歌山県立医科大学跡地の記念碑が建立されています。


和歌山県立医科大学はけやき大通り沿いの七番丁から九番丁、十二番丁に渡って建設されており、紀三井寺の市営競馬場の跡地に新築移転しました。



九番丁の伏虎中学北校舎には紀州藩家老安藤家屋敷跡の碑が、ロイネットホテル駐車場の前には和歌山県立医科大学跡地の記念碑が建立されています。


和歌山県立医科大学はけやき大通り沿いの七番丁から九番丁、十二番丁に渡って建設されており、紀三井寺の市営競馬場の跡地に新築移転しました。
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2010年03月10日
八番丁:城下町の地名 8
城下町の地名今回は八番丁で国道24号線の東西に位置しています。

東側には興紀相互銀行の本店がありましたが、現在は跡地に和歌山市消防局が建設されました。

西側には和歌山県商工信用組合「県信」があって夏場には屋上でビアガーデンが営業していました。
八番丁に因んでか「グリルエイト」という店があり、今でも美味しいとんかつを提供しています。


東側には興紀相互銀行の本店がありましたが、現在は跡地に和歌山市消防局が建設されました。

西側には和歌山県商工信用組合「県信」があって夏場には屋上でビアガーデンが営業していました。
八番丁に因んでか「グリルエイト」という店があり、今でも美味しいとんかつを提供しています。


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2010年03月09日
七番丁:城下町の地名 7
和歌山市城下町の地名、今回は七番丁です。
七番丁は和歌山城の北堀に面したけやき大通りの北側に位置しています。

汀丁交差点付近から公園前に至る北堀は、明治の末と昭和15年(1940年)の二度埋め立てられています。
当初北堀は幅が約41.3mで北側の道路は約10.7mでしたが、明治43年(1910年)頃から市内電車を複線にするため埋め立てられました。
その後昭和15年(1940年)に道路拡張と舗装化のため再び埋め立てられ、堀の幅は29mに減少し道路は歩道を含め21.6mとなり、二度の埋め立てにより約12.3m埋め立てられました。
さらに最近になって伏虎中学、ロイネットホテル間の歩道が拡げられ、和歌山市のメインストリートにふさわしくなりました。



町の北側にある伏虎中学校舎間の道路も、カラー舗装と両側には植樹されきれいに整備されています。

この周辺はは昼休みの散策に最高の場所でたいへん気に入っていましたが、残念ながら四月から職場が元に戻るため休日以外散策できなくなってしまいました。
七番丁は和歌山城の北堀に面したけやき大通りの北側に位置しています。

汀丁交差点付近から公園前に至る北堀は、明治の末と昭和15年(1940年)の二度埋め立てられています。
当初北堀は幅が約41.3mで北側の道路は約10.7mでしたが、明治43年(1910年)頃から市内電車を複線にするため埋め立てられました。
その後昭和15年(1940年)に道路拡張と舗装化のため再び埋め立てられ、堀の幅は29mに減少し道路は歩道を含め21.6mとなり、二度の埋め立てにより約12.3m埋め立てられました。
さらに最近になって伏虎中学、ロイネットホテル間の歩道が拡げられ、和歌山市のメインストリートにふさわしくなりました。



町の北側にある伏虎中学校舎間の道路も、カラー舗装と両側には植樹されきれいに整備されています。

この周辺はは昼休みの散策に最高の場所でたいへん気に入っていましたが、残念ながら四月から職場が元に戻るため休日以外散策できなくなってしまいました。
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2010年03月01日
六番丁:城下町の地名 6
六番丁はけやき大通りの北側、公園前交差点付近と、大通りの南に面するNTT東側の一部を含んでいます。



みずほ銀行和歌山支店の前身は第一勧業銀行和歌山支店で、今でも宝くじ売り場は健在です。

交差点の東側に位置する三井住友銀行和歌山支店は元・住友銀行和歌山支店でした。



みずほ銀行和歌山支店の前身は第一勧業銀行和歌山支店で、今でも宝くじ売り場は健在です。

交差点の東側に位置する三井住友銀行和歌山支店は元・住友銀行和歌山支店でした。

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2010年02月28日
五番丁:城下町の地名 5
五番丁は一番丁のNTTから屋形町通りに至る長細い町です。



東外堀堀詰川(屋形川)は町の北半分を東西に流れ、途中で直角に曲がり北進し、六番丁のけやき大通りに向かいました。



東外堀堀詰川(屋形川)は町の北半分を東西に流れ、途中で直角に曲がり北進し、六番丁のけやき大通りに向かいました。
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2010年02月25日
四番丁:城下町の地名 4
城下町の地名、今回は四番丁です。
四番丁は屋形通りの西側に面した所に位置しています。


東堀から流れ出た東外堀堀詰川(屋形川)は埋め立てられ屋形通りの西半分となり、北上し三木町バス停付近を再び西側に曲がり、裁判所の手前で直角に曲がりけやき大通り方面に北上していました。

四番丁は屋形通りの西側に面した所に位置しています。


東堀から流れ出た東外堀堀詰川(屋形川)は埋め立てられ屋形通りの西半分となり、北上し三木町バス停付近を再び西側に曲がり、裁判所の手前で直角に曲がりけやき大通り方面に北上していました。


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2010年02月24日
三番丁:城下町の地名 3
城下町の地名、今回は三番丁です。
三番丁は裁判所や検察庁のある二番丁の東、南に位置し今は法律関係の事務所がたくさんあります。



江戸時代には広瀬口御門があり、その南には東堀から続いていた東外堀堀詰川(屋形川)が流れ、屋形通りからは北進していたが、昭和6年からの失業救済事業として埋立られました。
三番丁は裁判所や検察庁のある二番丁の東、南に位置し今は法律関係の事務所がたくさんあります。



江戸時代には広瀬口御門があり、その南には東堀から続いていた東外堀堀詰川(屋形川)が流れ、屋形通りからは北進していたが、昭和6年からの失業救済事業として埋立られました。
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2010年02月23日
二番丁:城下町の地名 2
二番丁は東堀の東側堀端通りに面した所に位置しています。
和歌山地方裁判所、和歌山簡易裁判所、和歌山家庭裁判所、和歌山地方検察庁、和歌山区検察庁、和歌山地方合同庁舎など国の機関が建設されています。


次回は三番丁の予定です。
和歌山地方裁判所、和歌山簡易裁判所、和歌山家庭裁判所、和歌山地方検察庁、和歌山区検察庁、和歌山地方合同庁舎など国の機関が建設されています。


次回は三番丁の予定です。
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2010年02月22日
一番丁:城下町の地名 1
和歌山城下の地名を紹介します。
江戸時代を通じて城下町和歌山では武家屋敷地に町名はなく、町人の屋敷地と同心や仲間などの下級武士の屋敷地にだけ町名が付けられていたそうです。
明治2年(1869年)にまず同心町に町名を付け、武家屋敷地には明治5年(1972年)丸の内の一番丁から十三番丁をはじめとして屋形町など133の町名が付けられたようです。
一方、町名のなかった武家屋敷町に対して、町人の住んだ町には町名が付けられており、町人の町は職種に応じて居住地を指定するのが城下町建設の常道だったそうです。
1回目は一番丁です。
一番丁には和歌山城と中央郵便局、NTTが属しています。



次回は番丁シリーズの二番丁です。
江戸時代を通じて城下町和歌山では武家屋敷地に町名はなく、町人の屋敷地と同心や仲間などの下級武士の屋敷地にだけ町名が付けられていたそうです。
明治2年(1869年)にまず同心町に町名を付け、武家屋敷地には明治5年(1972年)丸の内の一番丁から十三番丁をはじめとして屋形町など133の町名が付けられたようです。
一方、町名のなかった武家屋敷町に対して、町人の住んだ町には町名が付けられており、町人の町は職種に応じて居住地を指定するのが城下町建設の常道だったそうです。
1回目は一番丁です。
一番丁には和歌山城と中央郵便局、NTTが属しています。



次回は番丁シリーズの二番丁です。
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