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2010年02月16日

西大工町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は西大工町です。

城北通り面する所に西光寺があり小学生の頃は同級生がおり、遊びに行かせてもらいました。

南側の通りには、今でもテント屋さんやネーム店、新建電機が営業しています。
  


Posted by ももじろうパパ at 18:10Comments(0)町の今昔

2010年02月15日

専光寺門前丁:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は専光寺門前丁です。

専光寺門前丁は専光寺と周辺にある7軒の小さな町です。

専光寺の隣には私が子供の頃よく行った駄菓子屋さん西谷商店がありました。


東隣は明日紹介する西大工町で、東に直進すれば、北ブラクリ丁に続いています。  


Posted by ももじろうパパ at 21:20Comments(0)町の今昔

2010年02月11日

鷺ノ森:町の今昔

和歌山市町の今昔今回は鷺ノ森(さぎのもり)です。
鷺森には本願寺鷺森別院(御坊)があり、安土桃山時代に織田信長と和睦し石山本願寺から退去した顕如が滞在し、浄土真宗の本拠地として位置づけられていたが、その後は豊臣秀吉紀州征伐によって急速に衰退し、江戸時代に再興したが第二次世界大戦の和歌山大空襲によって焼失し1948年に再建したが、再び1992年に火災で焼失し、現在の建物は1994年に再建されています。

15~16世紀に活躍した雑賀衆の本拠地であり、毎年孫市まつりが開催されています。

江戸時代の城下町絵図を見ると、周りは東西南北の道路で区切られた城下町ですが、鷺森別院付近だけが異なった街割になっており、城下町より以前に寺内町が形成されていた名残でしたが、戦災と戦後の区画整理によって今の形となりました。

そのためか現在もこの付近の地名は鷺森別院のある鷺ノ森をはじめ鷺ノ森西ノ丁、鷺ノ森新道、鷺ノ森中ノ丁、鷺ノ森明神丁、鷺ノ森東ノ丁、鷺ノ森片町、鷺ノ森堂前丁、鷺ノ森南ノ丁と鷺森別院を中心とした寺内町の名残が地名にも伺えます。

鷺森別院の境内には鷺森幼稚園があり、私はその卒園生でお堂で偉いお坊さんのお話を聞いた記憶があり、当時近所では鷺森別院をごぼうさんと呼んでおりました。

1872年(明治5年)には鷺森本願寺を会場として博覧会が開かれ神社寺院所蔵の宝物や各地の名産が展覧され、6万人の入場者があったそうです。

鷺ノ森南ノ丁には城北小学校があり、いまでも私が使用した教室が残っています。


  


Posted by ももじろうパパ at 13:09Comments(0)町の今昔

2010年02月01日

北大工町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は北大工町です。

北大工町は旧・丸正百貨店の西北に位置する場所にあり、老舗の家具屋が競い合いながら営業しています。

岡久家具とインテリアヒロミの両店です。
  


Posted by ももじろうパパ at 12:05Comments(0)町の今昔

2010年01月31日

東鍛冶屋町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は城北公園の東側に位置する東鍛冶屋町です。

小倉在住の津田監物が種子島から鉄砲を持ち帰り、根来に住む刀鍛冶師の芝辻清右衛門に造らせ紀州に鉄砲が普及しました。
雑賀孫市が織田信長との戦いに鉄砲を使った事は有名な話です。

徳川時代になって城下内町の鍛冶屋町に多くの鍛冶師達が集まったが、その中の一人鉄砲鍛冶師助右衛門は代々藩御用を勤め、出来ばえが格別であったため出来の姓を賜り、出来助鉄砲店が創業以来今もその伝統を守り東鍛冶屋町で営業しています。

正壽院にはたくさんの地蔵が祀られ、おじぞうさんと呼ばれ私が小学生の頃、近所の子供達は夏の終わり地蔵盆の時はおじぞうさんに集まりました。

昔は中島蓮根店や浅井屋味噌店、笹屋など食品製造の店や10円の洋食(お好み焼き)屋台がありましたが、今はブティックなどが多くあるお洒落な街に変貌しています。
  


Posted by ももじろうパパ at 15:20Comments(0)町の今昔

2010年01月28日

西鍛冶屋町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は西鍛冶屋町です。

西鍛冶屋町の大半は城北公園で地下は市営の駐車場となっています。

公園の中央には鷺の森遺跡水道遺構が復元されています。

駐車場の工事をする前に発掘調査が行なわれ、この場所には江戸時代には屋敷があり当時の石列が発見されましたが、これは各屋敷から出た排水を集めて内川である市堀川へ流すのと同時に町と町との境界にもなっていたそうです。

私は小学生の頃この城北公園でよく野球をして遊びましたが、地面を少し掘ると割れた瀬戸物の破片が出てきた事を思い出しました。

またこの公園で農業博覧会が開かれ農機具が並べられ農産品や植木の即売会があったり、今では考えられませんがヘリコプターの飛来があったりもしました。

次回は城北公園の東側にある東鍛冶屋町の紹介をする予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 20:26Comments(0)町の今昔

2010年01月26日

板屋町

和歌山市町の今昔、今回は城北公園の南西に位置する板屋町です。

板屋町は和歌山市駅方面からぶらくり丁に向かう途中にあり、名前通り木材関連の商店が残っています。

交差点角の大同生命ビルの1階には近畿日本ツーリストの支店がありましたが、和歌山駅の近くに移転し空き家となっています。

付近には粋な店が多数有りますがジーンズショップオリエントは古くから営業しています。
下村商店(ベニア板販売)、貴志洋装店、堂坂酒店も長く営業しています。


近々、この付近の道路がカラー舗装化され和歌山市駅からぶらくり丁への導入路となるようで、結果がどうなるか楽しみです。  


Posted by ももじろうパパ at 22:00Comments(0)町の今昔

2010年01月25日

舟大工町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は舟大工町です。

舟大工町の北島橋と和歌山市駅への分岐部にある三角地には通称白バイセンターがあります。
白バイセンターの北側の道路には移動式のバスラーメンが営業していましたが、昨年末で閉店しました。

白バイセンターの東側の歩道にはさくらモール周辺案内図が設置され、和歌山市駅からの観光客向けに和歌山城、ぶらくり丁周辺の名所を案内する地図のようです。

この町、昔は船を造る舟大工が住んでいたところだったのでしょうか。  


Posted by ももじろうパパ at 20:22Comments(2)町の今昔

2010年01月24日

橋丁:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は橋丁です。

周りの町名は○○町ですが橋丁はなぜかで表示されています。
橋丁は南方熊楠生誕地で(株)貴志の駐車場角には熊楠の銅像が建立されています。

付近のサイバーリンクスN4にはNPO法人市民の力わかやま事務局などNPO法人の事務所が入居しています。
今は駐車場となっていますが、サイバーリンクスの前身である南海無線がありました。

東方向の延長上はぶらくり丁です。

北方向には和歌山市駅があり、熊楠はこの方向を見つめています。  


Posted by ももじろうパパ at 20:30Comments(0)町の今昔

2010年01月20日

寄合町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は寄合町です。

市堀川に架かる寄合橋は1941年(昭和16年)に建設された、上路コンクリートアーチ橋で両端に常夜灯が設置された歴史のある橋です。

以前は寄合橋の南側で直角に曲がり城北橋の方に向かう現在の市堀川と、分岐し直進後に屈曲して和歌山城西の丸吹上門にいたる堀川の支流西ノ丸川があったが、今は埋め立てられ商工会議所などが建設されています。

橋の北側も江戸時代は船で運搬されてきた物品の荷揚場でした。

50年ほど前は市堀川で運んできた材木を加工する、宮本木材の工場や木材加工の作業場がありました。

寄合町にある和歌山市立こども科学館が1981年に開館する前は、和歌山放送の旧社屋がありました。
西隣には昨年3月末で閉館した和歌山市発明館がありますが、紀陽銀行の元電算センターでした。


次回は板屋町の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 18:00Comments(0)町の今昔

2010年01月19日

卜半町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は卜半町です。

和歌山市の場合は城内で武家の住んでいた地域が町人が住んでいた地域がではなく、読み方でちょうまちと区別しているようです。

よって最近は混乱していますが橋丁(はしちょう)、真砂丁(まさごちょう)、ぶらくり丁が正しいようです。

中橋から城北橋間の北岸の荷揚場は埋立られミートビル(食肉会館)、和歌山ニット会館、和歌山県建築士会館などが建設されています。

付近には出来商会(建設資材)の倉庫や吉田九一郎商店(建設資材)、吉本鋼材があり、市堀川には製材用のいかだがたくさん浮いておりました。

卜半町には銭湯(城北湯or卜半湯?)があり、駒井菓子店は洋菓子のサブールとなっています。


次回は寄合町の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 12:05Comments(0)町の今昔

2010年01月18日

福町:町の今昔

和歌山市町の今昔今回は福町です。

福町には和歌山新報と中華そばで有名な山為食堂があり、市堀川には中橋が架けられ北詰には中橋地蔵尊が建立されています。

市堀川の中橋から東側の河岸は整備され遊歩道と駐車場が設置されています。

江戸時代このあたりは納屋河岸(なやがし)と呼ばれ、紀伊国名所図絵の碑が河岸に建てられています。

中橋から西側の河岸は埋め立てられてビルが建築され昔の面影は残っておりません。

私は5歳から30歳までの25年間福町に住んでいたので、今の和歌山新報のある和歌山中橋ビルの所には建築材料置き場があり砂場でよく遊びました。

付近には建材店がたくさんあり、覚えているのは土肥建材、恩賀建材、紀陽建材などで、橋の北東には中橋タクシーという会社もありました。

町内には他にも内芝雑穀、大久保商店(八百屋)万谷たばこ店、土井洋装店、山本美術印刷、山本大工、宮井新聞舗、硯商店(砂糖卸)石倉洋服店、清水眼科、若林電材→誠光商事、喫茶シャローム、和歌山経理専門学校、大槻タイプ、橋爪歯科、北出商事、上坂クリーニング、平安商会(ボルト・ナット販売)、野崎小鳥店などたくさんの店がありました。
野崎小鳥店の息子さんが向陽高校から甲子園に出場した時は町内会でバスを出し応援に行きました。
その後野崎選手は南海ホークスに投手で入団しました。

次回は卜半町の予定です。
  


Posted by ももじろうパパ at 12:12Comments(0)町の今昔

2010年01月17日

駿河町:町の今昔

和歌山市町の今昔、今回は駿河町です。

駿河町といえば和菓子の老舗である総本家駿河屋の本舗があり、煉羊羹(ねりようかん)本ノ字饅頭和歌浦煎餅などが有名です。

他には山東糸店、島沢洋紙店、栗山昆布店、中北茶店があり、ビルの2階に道場のあったオーム真理教の和歌山県支部がマスコミの取材で賑わった事もありました。

豚珍軒という小さな中華料理店があり炒飯が絶品でしたが、店主の夫婦喧嘩が始まると店が臨時休業となってしまう迷店?もありました。

市堀川に面し今は市営駐車場となっている駿河町~福町の河岸には荷揚場あり砂や砂利、煉瓦、土管などが置かれており道路を挟んで北側には数件の建材店や京橋寄りには当時の南海電気鉄道バスの駿河町駐車場があってここを起点にしたバス路線が存在しておりました。


次回は福町の予定です。  
タグ :町の今昔


Posted by ももじろうパパ at 12:06Comments(0)町の今昔

2010年01月14日

南大工町:町の今昔

町の今昔3回目は南大工町です。

場所は旧・丸正百貨店の南西に位置します。

鰻のトリハル、藤八商店(バナナ卸)、川達蒲鉾店、中村商店(日用雑貨・化粧品)、堤歯科医院、土井朝商店(日用雑貨卸)は藤八商店がバナナ卸から喫茶店→コンビニと業種が替わりましたが今でもほとんどの店が残っているようです。

トリハルの東隣にあった高田洋服店は丸正百貨店が改装される際ビルの1階に移り別の洋品店となっています。


次回は駿河町の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 20:05Comments(0)町の今昔

2010年01月13日

西の店:町の今昔

町の今昔、今回は西の店(にしのたな)です。

場所は前回紹介した万町の西側で一部は城北公園の南側です。

徳川の時代お隣の万町は蔬菜市場でしたが西の店には魚市場が開かれたそうです。
当時の名残か現在でも魚栄魚店がありました。

40~50年前には数見商店(味噌)、丸七商店(布団)、藤本製菓、楠嘉種苗店、扇野商店、第一質舗、花岡硝子店、森本砂糖店、鈴木紙店、竹内商店(薬局・文房具)・歯科、増田商店(砂糖)、福原商店(玩具・菓子)、杉本雑穀店、杭ノ瀬米店、国本クリーニング、西畳店、和歌山書店、日本生命支部、旅館城北荘などがあり、今でも約半数近くの店舗が残っています。


次回はフォルテワジマ(旧・丸正百貨店)の南西側にある南大工町の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 18:13Comments(0)町の今昔

2010年01月12日

万町:町の今昔

町の今昔というタイトルで和歌山市にある町の今昔を取り上げます。

今回は万町(よろずまち)です。

場所は本町2丁目のフォルテワジマ(旧・丸正百貨店)の西側にあり、徳川時代には蔬菜市場があったようです。

昭和20年の和歌山空襲の後一時復興していたが、昭和31年に今の市民会館の所に市営中央市場がに開設されると、商店や問屋が並ぶ町に変貌しました。

私が近くに住んでいた40~50年前は、石倉豆腐店、森本砂糖店、中谷かつお節・卵店、播磨屋(菓子)、有喜本店、虎屋(和菓子製造)、ハタ鉱泉、喫茶マロンなどがあり賑やかでした。

今は岡丸乾物店だけが営業しているようです。


次回は西の店(にしのたな)の予定です。  


Posted by ももじろうパパ at 21:11Comments(0)町の今昔